スペイン 4日目
今日は、午前中、バルセロナから飛行機でグラナダへ移動する。
バルセロナから2時間たらずの飛行だ。スペインの国内線で移動する。
グラナダは小さな田舎町の風情だった。
グラナダの空港に降りた時から、陽射しは強いのだが、まだ5月で風は涼しい。
周囲を見渡すと、シェラネバダ山脈(スペイン語でシエラは山脈、ネバダは雪を意味すると。)には白い雪が残っている。
空港からバスで移動して、グラナダ市内に行く。
ちなみに、グラナダのシンボルといえば、ザクロ(柘榴)だそうだ。
イスラムの牙城であったグラナダは、奪還を目指すキリスト教側から見ると、ザクロのような固い皮に囲まれた難攻不落の都市であり、それがパクリと割れた姿は、鉄壁のグラナダ王国を、キリスト教側がこじ開けたことを象徴しているという説もある。
https://www.oricon.co.jp/article/511743/
昼食にレストランに連れて行ってもらうが、このあたりで異常に気づく。
停電だ!
レストランの店内は真っ暗だ。
外は陽光にあふれているのだが、店内は真っ暗だ。
暗闇の中で、ロウソクを灯しながら食事をするが、料理の味は暗闇でも変わらない。美味しかった。
しかし外に出てみると、信号が消えていて警察官が慌ただしく道路整理をしていた。
しかししかし、この日の予定は、幸なるかな、バスによるアルハンブラ宮殿の観光だった。
陽も明るいし、停電の影響もほとんどない。
私たちの乗る観光バスが、アルハンブラ宮殿の駐車場に止める時に、駐車場のゲートが停電で上がらなかったこととか、アルハンブラ宮殿内の土産物屋がクレジットが使えずに現金のみとなり、店員が紙にエンピツで支払いを計算していたこと程度で済んだ。
バスに乗る私たちは、大きな混乱もなく予定通りにアルハンブラ宮殿に到着する。
アルハンブラ宮殿は、単一の建物ではなく城壁に囲まれた城塞都市をいう。
ナスル宮殿をはじめ7つの宮殿と、市場、モスク、住宅街なども備えていた。
11世紀にイスラム教徒が征服していたイベリア半島を、レコンキスタと言われるキリスト教徒の国土回復運動が高まり、グラナダはイスラム教徒の最期の砦となった。
そのようなレコンキスタの嵐の中でアルハンブラ宮殿は建築された。いわばイスラムの残照である。
1492年グラナダは陥落し、レコンキスタは完了した。
同時にこの年は、コロンブスが新大陸を発見した年でもある。
レコンキスタが完了するとともに、「太陽の沈まぬ国」と豪語したスペイン帝国の飛躍の始まりにもなった。
アルハンブラ宮殿の入り口を入ってしばらく歩くと、清らかな水の流れる水路があった。
ガイドの案内によると、この水路こそがアルハンブラの宝だという。
水の少ない砂漠のようなアンダルシアの高地に、清らかに流れる水路を見て、旅人は感嘆したことだろう。
高台からはアルハンブラのモスクや市街が見下ろせる。
春の盛りを迎え、赤や黄色のバラも咲き、1年で最も美しい季節に訪れることができた。
5枚目の写真は、アルハンブラの城外にあるヘネラリフェという別荘である。
厳しい夏の暑さを王族はこの別荘で過ごしたという。
別名、「水の宮殿」とも称される。
イスラム=スペイン様式を代表する庭園だそう。
シンプルで美しい。
6枚目は有名なライオン宮と呼ばれる、王族のプライベートな空間で、装飾はより繊細となる。
しかしこのイスラム建築の繰り返し繰り返し表現される繊細な細工には驚嘆する。
イスラム教では偶像崇拝が禁止されていたために、幾何学模様と文字装飾が発展したという。
美しいアラベスクやカリグラフィーで表現される繊細で繰り返される模様はイスラムの思想を表現していると言える。
この繊細な装飾は、イスラムの祈りそのものなのだ。
アラベスクを説明するwikipediaからの引用ではあるが:
幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、人物を描くことを禁じるスンニ派のイスラム的世界観に基づいている(シーア派ではムハンマドを除いて描くことは認められている)。
ムスリムにとってこれらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成している。
イスラム世界の多くの人々にとって、これらの文様はまさに無限の(したがって遍在する)、唯一神アラー(イスラムで言う無明時代では「アラート」という女神)の創造のありのままを象徴する。
さらに言うなら、イスラムのアラベスク芸術家は、キリスト教美術の主要な技法であるイコンを用いずに、明確な精神性を表現しているとも言えよう。
ただただ、美しい。
アルハンブラ見学の興奮も冷めやらぬ中、ホテルに到着する。
停電はまだ続いている。
ホテルにチェックインしたが、エレベーターを使わないように言われて階段を利用した。
携帯電話も電池の残量が気がかりで、この日の写真は少ない。
スペイン全土と、ポルトガルも停電になったと聞いた。
はっきりした原因がわからないままに、サイバーテロ?というような情報も流れたし、スペイン政府が、国家緊急会議を招集したという情報も流れた。
インターネットも繋がらない。
一晩、ちょっと不安な夜を過ごした。
夜になったら真っ暗で風呂も入れないので、まだ明るい間にシャワーを浴びて、夕食が終わったら、すぐに布団に入った。
このまま停電が続いたら、予定通りに帰れるのだろうか?とか、いろいろ頭をかすめたが、まだスペイン旅行も半分残っている。
そんなに長くは停電も続かないだろうと思い直して、眠りについた。
28日の12時半くらいから始まった停電は、29日の朝4時半ころに突然、電気が回復した。
日常が戻ってきた。
早速、携帯電話を充電した。
停電が、朝4時半に治ったので、グラナダの街をジョギングしてみた。
朝5時は、まだ真っ暗だ。
へネル川のほとりに出た。
川沿いに公園が造ってあって、こんな銅像が立っていた。
グラナダがフラメンコの発祥の地というような意味だろうか。
ネットで調べてみると、グラナダやセビーリャといった、ここアンダルシアがフラメンコの発祥の地のようだ。
フラメンコの歴史
https://flamencobarcelonacity.com/pages/flamenco-history
フラメンコはグラナダではなくて、最終日のマドリードで見物した。
手拍子、カスタネット、高速タップダンスに、哀愁のこもった声と、ギターの伴奏が加わる。
決して派手ではないが、この地で生活するものの情念のようなものを感じる。
余談だが、この高速タップダンスを見て、スペインがサッカーが強いのがわかる気がする。
この足技で攻められたら、ひとたまりもないだろう。
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