できごと徒然
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No.0036

できごと徒然(36) −昼下がりのワーズワース−

 

 リサナメントも9回目。
今回のリサナメント(健康創造のイタリア語)も、素敵に終わりました。
今回は、宝塚市の企画調整課長、松藤聖一様をお招きしてのお話でした。
福祉というものの変貌、介護保険の誕生などの総論的なお話から、宝塚市の福祉の現状などお話を頂きました。

松藤様のメッセージのわかりやすい一例として、ステップバスの話が取り上げられました。
ステップバスという障害者や老人にとって、便利な工夫をされたバスが、いま一般には不人気だというお話でした。
ステップバスは身体に不自由のない健常者にとっては、かえって乗り降りが不便だからだそうです。
すべての人にとって、都合のいいものは存在しない。そんなときは、障害のある人の気持ちに立って考える一見健常者の、ゆとり、余裕が欲しい。などといったお話も聞かれました。

 行政というのは、最大公約数を保障するところ、それぞれの個人の個別の対応は、個人にゆだねたい。あるいは地域にゆだねたいということで、これからの福祉のあり方は、地域に期待するところ大であると強調されたように思います。
私達のリサナメントの集まりを行政のかたも歓迎して頂いていると理解いたしました。
わたしも行政の方と、こんなに身近にお話しするのは初めての経験でしたので少し戸惑いました。
でも随分私達の意見にも熱心に耳を傾けて下さって、お役人、行政といったイメージも変わってきているのだなと感じました。

松藤様からは、しめくくりに、英国の詩人、ワーズワースの詩を御披露頂きました。

For age is opportunity no less
Than youth itself, though in another dress,
And as the evening twilight fades away
The sky is filled with stars, invisible by day.
( Henry Wadsworth Longfellow, 1875 )

年を重ねること
それは若さそのものに劣らぬ機会
ただ異なった衣服をまとっているだけ
夕闇に陽の光が消え行くとともに
空は昼間には見ることのできなかった
幾多の星で満ちていく

たしかに年をとること。 これは誰にも避けることのできないこと。
年をとること。 それは忌むべきものではなく、 それは智慧でもって、受け容れていかねばならないもの。 それが文化というもの。
松藤様のメッセージをこのように受けとめたつもりですが、 いかがでしょうか?

4月12日、土曜の午後の昼下がり。
確かにここは診療所。普段は病気の人が集まるところ。
でも診療所の利用され方として、いま健康な人が、明日も健康であるように何かを学んだり、あるいはこの街に住む人が集って、お互い、より暮らしやすいように少しの工夫を凝らしたり。 診療所がそんな風に利用してもらえたら、心からうれしいと願っていました。

今日は、私の診療所が文字通りそのように利用されている日。
診療所の窓からは、昨日の雨のために水量をました逆瀬川のせせらぎの音が耳に入ってきて、また散り始めた桜の花びらが薫風に舞っているのも眼に入りました。
開院して3年目。多くの人が集ってくださって、支えてくださって、いつのまにか、ひとつ願いがかなっていることに気づいて、私はとてもハッピーな気分でした。

平成15年4月12日 記

No.0035

できごと徒然(35) −鉄腕アトムの生まれた日−

 

アトム 2003年4月7日。
皆様は、この日が何の日かご存知ですか? そう、あの鉄腕アトムが生まれた日です。
今日は4月3日、まだ4月7日は訪れていないのに過去形であるのは、 鉄腕アトムのお話は、もう50年も前に生まれたお話だからです。

1951年4月、月刊誌少年のなかに登場した「アトム大使」が前身となり 1952年に鉄腕アトムが誕生しました。いまから50年も前の話です。

私の少年時代は、文字通り鉄腕アトムと重なります。
毎月、月刊誌少年が発売になると、両親からお小遣いをもらっては、 雑誌を買いにいきました。
あの頃は、雑誌の中にその雑誌本体の2倍ほども付録がついていて、 雑誌はパンパンにふくらんで、はちきれそうでした。 毎月毎月、雑誌の発売が待ち遠しく、アトムの登場を心待ちに していたことを思い出します。

鉄腕アトムは、言わずと知れたあの手塚治虫の代表作です。
アトムは手塚治虫により、その誕生日を2003年4月7日と定められて、 50年前に生み出されました。
その誕生日が近づいています。

宝塚ファミリーランド50年後の実際の2003年4月7日は、同時にその日は、宝塚ファミリーランド という遊園地が姿を消す日にもなりました。

阪急電鉄の生みの親、小林一三氏が大阪神戸のベッドタウンとして 沿線の開発に乗り出しました。
宝塚に私鉄をひいて、温泉を掘り、 観光客誘致のために宝塚歌劇団、宝塚ファミリーランドをつくりました。 夢のある経営は私鉄経営のモデルと讃えられました。

 あと閉園まで4日あまりに迫った今日木曜日の午後、 私は一人で、ファミリーランドを散策してきました。
私が最後に子供達とここに足を運んだのも、もう10年ほど前になるかも知れません。
子供の頃は、両親につれられてあるいは友達と、新婚時代も何度か足を 運びましたし、子供が生まれてからも時々は足を向けました。

子供の頃は、ずいぶん広く感じましたが、今日歩いてみると たくさんの人出であったこともあってか、ずいぶん狭く感じました。
でも、一番奥にはあの世界の大人形館がまだ残っていて、多くの人が行列を作っていました。
確か二人がけか四人がけの小さな船に乗って、水路の上を運ばれていったと思います。
世界中の人形が立ち並んでいて、「世界はひとつ〜。」とか歌が流れてきたような気がします。
ちょうど万国博の頃にできたのではなかったかしら?

さくらいろいろな思いにふけりながら、散策しました。
そして手塚治虫記念館にも入ってみました。
手塚先生は、この宝塚で5歳から20歳頃まで住まわれたそうです。
手塚先生がお亡くなりになった後、宝塚市がその業績を記念して、 このファミリーランドに隣接した土地に手塚治虫記念館を創りました。

手塚治虫はちょうど昭和3年生まれで、私の父と大阪大学の医学部で同級生でした。
いつだったか父が同窓会に出席し、まだ小さかった私の妹のために、手塚治虫から色紙を書いてもらったとか言って、ウランちゃんの色紙を もらってきたのを思い出します。

記念館のなかには手塚治虫の業績が並べてありましたが、 中学時代の昆虫の写生など、すでに非凡な天才的な写実力を感じました。
医学部学生時代の講義のノートも、解剖図とともに几帳面な字で詳細なメモが書き込まれており、当時の学生の勉学への熱意を感じました。
物のない時代に、ここまで几帳面にノートをとり学んだ姿は、 物資の豊かな今の時代に生きる我々は、彼らほどの情熱で物事に取り組んでいるか 大いに恥じるところであります。

さくらと飛行機その手塚治虫記念館の2階が新装されていました。
そしてそこにはあの鉄腕アトムが、2003年4月7日の誕生をまって 静かに眠っていました。
ずいぶんしゃれたことを考えるんだなあとナイスな企画に感心しました。
4月7日の誕生日、アトムはどのような姿で目覚めるのでしょうか? 見てみたい。

アトムの誕生を、宝塚市医師会の産婦人科の先生と、小児科の先生が見守りました、、、なんてことを宝塚市医師会がアナウンスすれば、さらにしゃれた企画になるかも知れませんね。

冗談はともかく、アトムは実際に2003年4月7日に誕生し、アストロボーイとして、新しくテレビに登場するそうです。 http://astroboy.jp/

幼き頃、活躍する鉄腕アトムに胸躍らせたあの日が懐かしく、 美しく咲きそめた満開の桜とともに、老若男女、大勢の行楽客の 歓声の中で、幕を閉じようとする、宝塚ファミリーランドに、 グッドバイとつぶやきました。

2003年4月7日に生まれるアストロボーイの活躍に期待して、 また子供達が胸躍らせて、アトムのもつ正義のこころを もって現在進行形のイラク戦争など早く終結し、 本当の意味での平和な社会が来て欲しいものだと強く願います。

平成15年4月3日 記

No.0034

できごと徒然(34) −クリニックのIT化 第1弾−

 

 いやあ今日の一日は長い一日だった。 このホームページも随分長い間書き込んでいない。 なかには今井は何をしているのだと、ケゲンに思われた人もおられるかもしれない。

開院3年目を迎える今年の目標の一つは、医院の電子化である。 たまっていくカルテや文書を電子化して保存しようという試みだ。 そのためには、院内LANを充実させねばならない。 折りしもサーバーマシンのHDDが不安定になったので、 HDDを入れ替えて、OSもWindowsNTから、Windows2000へと変更した。 (してもらった) すると今まで何とかつながっていたネットワークがおかしくなった。 あれやこれやと同じような作業を繰り返し、時間ばかりが過ぎていく。

この修復と、おそまきながらインターネットをブロードバンド(といってもCATVだが) につなぐ作業で、この1週間、とくに今日一日を費やした。 非常にわずかのことでパソコンちゃんは機嫌を損ねる。 何冊かの本も買い込み、でも最後はやっぱり助っ人のちからを借りて なんとかネットワークが安定した。 現在、5台のパソコンがネットワークできた。 これに6台めとして、RS-Base専用パソコンを設定した。

これで下準備ができた。 明日から、ファイリングソフトを入れて設定して、いよいよ電子ファイリングに乗り出すぞ。 使いたいのは、RS-Baseという広島の開業医の山下先生が開発されたソフトだ。 うまくいけば、血液検査をインターネットから直接取り込んで、そのほか レントゲンフィルム、心電図、紹介状 などなどなど すべてが患者ごとに一括管理できることになる。 RS-Baseの紹介は下記です。
http://izumi.cside8.com/RSB_manual/Dr_Wada/index.html
ここまで随分時間をつかったが、夢見てがんばるぞ。

平成15年2月23日 記

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