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リサナメントも9回目。
今回のリサナメント(健康創造のイタリア語)も、素敵に終わりました。
今回は、宝塚市の企画調整課長、松藤聖一様をお招きしてのお話でした。
福祉というものの変貌、介護保険の誕生などの総論的なお話から、宝塚市の福祉の現状などお話を頂きました。
松藤様のメッセージのわかりやすい一例として、ステップバスの話が取り上げられました。
ステップバスという障害者や老人にとって、便利な工夫をされたバスが、いま一般には不人気だというお話でした。
ステップバスは身体に不自由のない健常者にとっては、かえって乗り降りが不便だからだそうです。
すべての人にとって、都合のいいものは存在しない。そんなときは、障害のある人の気持ちに立って考える一見健常者の、ゆとり、余裕が欲しい。などといったお話も聞かれました。
行政というのは、最大公約数を保障するところ、それぞれの個人の個別の対応は、個人にゆだねたい。あるいは地域にゆだねたいということで、これからの福祉のあり方は、地域に期待するところ大であると強調されたように思います。
私達のリサナメントの集まりを行政のかたも歓迎して頂いていると理解いたしました。
わたしも行政の方と、こんなに身近にお話しするのは初めての経験でしたので少し戸惑いました。
でも随分私達の意見にも熱心に耳を傾けて下さって、お役人、行政といったイメージも変わってきているのだなと感じました。
松藤様からは、しめくくりに、英国の詩人、ワーズワースの詩を御披露頂きました。
For
age is opportunity no less
Than youth itself, though in another dress,
And as the evening twilight fades away
The sky is filled with stars, invisible by day.
( Henry Wadsworth Longfellow, 1875 )
年を重ねること
それは若さそのものに劣らぬ機会
ただ異なった衣服をまとっているだけ
夕闇に陽の光が消え行くとともに
空は昼間には見ることのできなかった
幾多の星で満ちていく |
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たしかに年をとること。
これは誰にも避けることのできないこと。
年をとること。 それは忌むべきものではなく、 それは智慧でもって、受け容れていかねばならないもの。 それが文化というもの。
松藤様のメッセージをこのように受けとめたつもりですが、 いかがでしょうか?
4月12日、土曜の午後の昼下がり。
確かにここは診療所。普段は病気の人が集まるところ。
でも診療所の利用され方として、いま健康な人が、明日も健康であるように何かを学んだり、あるいはこの街に住む人が集って、お互い、より暮らしやすいように少しの工夫を凝らしたり。
診療所がそんな風に利用してもらえたら、心からうれしいと願っていました。
今日は、私の診療所が文字通りそのように利用されている日。
診療所の窓からは、昨日の雨のために水量をました逆瀬川のせせらぎの音が耳に入ってきて、また散り始めた桜の花びらが薫風に舞っているのも眼に入りました。
開院して3年目。多くの人が集ってくださって、支えてくださって、いつのまにか、ひとつ願いがかなっていることに気づいて、私はとてもハッピーな気分でした。
平成15年4月12日 記
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