平成21年11月8日(日)名古屋で開催された、第33回日本死の臨床研究会に参加してきました。
この本面白いで紹介させて頂いた、内藤いづみさんからの紹介で、
この第33回日本死の臨床研究会で、オカムラオキヒコの展示企画があるという情報を知り、オカムラアキヒコ(岡村昭彦)に会いに、名古屋まで行って来ました。
私も以前から、オカムラアキヒコという名前は存じておりました。
福岡の二ノ坂保喜さんの著作で、オカムラアキヒコの名前を知り、著作である「ホスピスへの遠い道」を読みました。
ベトナム戦争の最中に身を挺しての取材を行い、その迫真の写真が「LIFE」紙に掲載され、ロバートキャパを継ぐと評された報道写真家としての活躍。
一方、そのようなベトナム戦争での取材を通じて、戦争とはなに?、戦争を招く人間とはなに?
という問いかけから、後年は人権回復の視点からホスピス運動の啓蒙に尽力されたこと。
ここでもその取材に当たっては、自らホスピス発祥の地アイルランドに渡り、ダブリンの図書館でマザーエイケンヘッドの足跡を追ったことなど。
その他にも、生命倫理なる考えをいち早く紹介したり、医療を担う看護師への教育、子供を育む母親への教育活動など、その次代を見据えた活躍は広範にわたります。
旺盛な好奇心と抜群の行動力の持ち主とは存じておりました。
一度、その業績をじっくり伺ってみたいと願っておりました。
そんな折に、内藤いづみさんから、今回の死の臨床研究会で、オカムラアキヒコの展示があるということを教えて頂きました。
展示の企画は、内藤いづみさんと「いのちのレッスン」を共著された米沢慧さんです。米沢慧さんは、山崎章郎さんとも「新ホスピス宣言」という本を共著され
るなど、日本のホスピス運動の啓蒙者のお一人でもあります。
展示会場には、オカムラアキヒコが、ベトナム戦争、ビアフラなどで撮影した迫真の写真が飾られていました。この距離で撮影するには、自らをこの戦地の極限に置かねば撮りえない写真ばかりであることは容易に理解できます。
ここまでして彼が伝えようとしたものはなんなのか?
また会場には、現在は静岡県立大学に収められた、オカムラアキヒコが収集した膨大な資料や書籍が、岡村文庫として展示されていました。
写真は撮影者の意識で決まる。というようなことを言われていましたが、映像に頼らず、写真を自分の言論表現の手段と捉え、同時に膨大な資料を読み込んで、我々はどんな時代に生きているのか?ということを検証しようとする。
権力に頼らず、人に頼らず、あくまで自分の足で踏み込んで、読み込んで、格闘して、実証しようとする強烈な個性。
その強烈な個性は、未だに輝きを失わず、多くの人を引きつけて止まない。
今日は、そのオカムラアキヒコの写真とともに、内藤いづみさん、米沢慧さんとともに写真を撮ることができて、私にとっては宝物のような一日となりました。
内藤いづみさんの紹介で夢が叶って、こどものようにうれしい気分です。
それにしましても、会場で流されていたNHKの記録によるDVDから流れるオカムラアキヒコの肉声は、25年前というのに、いささかもその迫力を失わず、その鋭い指摘は現代において益々その重要性を増すように思います。
見据える眼光、通った鼻筋、大きく張った耳介、放たれる明快な言葉、時折見せる子供のような人なつこい表情。
組織に属さぬフリーランスの立場に誇りを持ち、体制や権力に批判を繰り出し、とにかく歴史の真実を明らかにしようとする姿勢は、DVDの画面から圧倒的な迫力で伝わってきました。
「綜合された知が、未来を開く。」という彼の言葉どうり、報道写真家であるとともに、生命倫理やホスピス活動の啓蒙家でもあり、また子供の教育にも関心をもち母親学校を開催するなど、その旺盛な知識欲と探求は広範に多岐にわたって、オカムラアキヒコを形成していました。
オカムラアキヒコはまさしく宇宙的な存在かと思えました。
25年前、日本にもこのような人間が存在したこと。
我々は彼を誇りに思うとともに、その意思を受け継いでいきたいものです。
私もこれを機会に、より一層オカムラアキヒコの世界に近づきたいと思いました。
いずれにせよ、オカムラアキヒコとの出会いが叶って、私にとっては夢のような一日でありました。
ご紹介頂いた、内藤いづみさんに感謝いたします。