兵庫県医師会からの依頼を受けて、兵庫県医師会雑誌、平成20年2月号に掲載予定のエッセイをご紹介いたします。
在宅医療の魅力
宝塚市医師会 今井信行
開業して早や8年目を迎えました。私はこの宝塚市で医院を継いで3代目にあたりますが、子供の頃から往診に出かけて行く父の後姿を見ていましたから、開業したら往診するのは当然と思っていました。それで特に違和感もなく開業当初から往診に出かけておりました。
最初の頃は患者さんも少なかったし時間もありましたので、患者様宅に出向いては、血圧を測ったり薬を届けたりしながら、いろいろな話を聴いたりすることが楽しみでした。当時で印象深いのは、ある造園業の翁の思い出です。
宝塚市は園芸でも有名ですが、翁は洋ランの栽培を手がけておられました。
洋ラン栽培の苦労など、ランにまつわるお話など教わりました。時には、ランの専門書を貸して頂いたりもして、翁が随分洋ラン栽培の研究をされたことを知り、どの道もそれなりの苦労があるものと感じました。診察が終わると、一転私が生徒になり、洋ラン栽培の講義を受けていました。翁も私にそのような話をすることを楽しんでおられたようです。
その頃は在宅医療を病院での医療の延長のように思っていましたので、患者様にも病院勤務時代と同じような対応をしていたように思います。ある在宅酸素療法をしていた老人にも、低酸素なので酸素を吸いなさいと何度も説明しましたが、老人は酸素の機械を設置しながらも、酸素を吸うと弱る、昔酸素を吸って死んだ身内がいると、頑なに酸素を吸うことを拒否されていました。業を煮やした私は、酸素の必要性を随分強く説明し、自分の考えを患者さんに伝えようとしました。
それは患者さんにとっては押し付けのように受け止められたのかも知れません。
患者さんは私の元を離れていかれました。
それから、何例か在宅医療の経験を重ねるにつれ、特にターミナルの事例なども経験するようになると、在宅医療において患者様が求めておられるのは、単に医療的な関わりだけではないことに気づきました。同時に医療的な関わり以上に、家族のちから、介護のちからも重要であることを知り、医師の力だけではどうにもならないことも多いことに気づきました。
また、長い間闘病されてきた患者さんと話をすることで、その人なりの人生を伺うことができますが、それは何者にも勝る生きた教科書であり、患者様の姿に照らして、自らの人生を見つめるよい機会になっていることにも気づきを得ました。
在宅医療を通していろいろな人との出会いもありました。大阪天王寺の應典院住職、秋田光彦師からは、現大阪大学学長の鷲田清一先生(臨床哲学が御専門と伺います。)の著書を紹介して頂きました。その中の1冊、「聴くことのちから」のなかに、「<臨床>とは、ある他者の前に身を置くことによって、そのホスピタブルな関係のなかでじぶん自身もまた変えられるような経験の場面というふうに、いまやわたしたちは<臨床>の規定をさらにつけくわえることができる。」というような言葉がありました。
在宅医療は患者様の自宅に伺い、その生活を間近に見て行う医療ですから、患者さんの生活がよく見えます。また時間をかけて比較的ゆっくりとお話をすることができますので、私にとって在宅医療の現場は、鷲田先生の言葉のとおりに、<臨床>を考えさせてくれる貴重な機会であると感じています。
今は在宅医療を通じて、患者さんとの距離のとりかた、コミュニケーションのとりかた、言葉の使いかた、そのような患者さんとの関係作りを楽しんでいると同時に、自分自身が気づきを得るのを楽しんでいます。これが私にとっての在宅医療の魅力と言っても過言ではありません。そしてこうして得た臨床の知といったものは、私なりの医療の中心に座るものであり、外来診療や透析医療など私の関わる他の医療の場にも好影響を与えてくれています。
開業医にとって医は「なりわい」でもあります。私どもは生活者として医に関わっております。私どもが患者と称して関わる眼前の人々は、将来の私たち自身の姿に他なりません。生活者にとって、医はどうあるべきか、在宅医療はそんなことを考えさせてくれる格好の機会と感じております。
次回は、六甲学院中等部以来の同級生で、在宅医療の分野で活躍されている尼崎市の桜井隆先生にお願いしました。