No.0025 |
できごと徒然(25) −にわか杉田玄白?−
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7月27日、炎天下とはこのことか、、今年は暑さがひとしおのような気がします。
27,28日と神戸市北区の富士ゼロックス研修所で合宿をしていました。 私の属する内科専門医会の有志が集まって「医療の標準化委員会」をつくっていますが、その集まりで、医学用語を統一しようということになりました。もちろん将来の電子カルテに備えて、用語を統一することも視野に入れてい
ます。SNOMEDと呼ばれる世界16カ国で使用されている用語集を日本語に訳す作業 です。
千葉大学医療情報部の里村教授、高林助教授も参加されて、泊り込みで意見の交換をしました。
英語で記された医学用語を日本語に訳す作業ですが、意外と根気の要る作業です。皆で、ああでもないこうでもないと話しておりますと、気分はすっかり、
杉田玄白らもかくあらんといった心境でした。
しかし現代の、杉田玄白らはコンピューターを持参しているのが大きな違いです。各自一台のコンピューターを持ち寄り、一晩にぎやかに過ごしました。
記念写真を載せておきます。
(前列中央が里村教授、その右側が高林助教授です。) |
No.0024 |
できごと徒然(24) −鳥越憲三郎教授のお話−
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記憶をたどりながら、7月6日にお話いただいた、鳥越先生のお話を書きとどめ
ておくことにいたします。
鳥越教授のお話は、中公新書の「古代中国と倭族」という著書もございますが、中国の古代文明をさかのぼるとき、現在の古代史観は黄河中流域の文化に偏したものであると指摘されます。古代王都が黄河流域に栄え、その繁栄を謳歌した漢の御代に司馬遷により「史記」が編まれたことも一因ではないかと推察されます。
教授は、この黄河文明に比肩する古代文明が長江流域に存在したことを検証されます。黄河文明に駆逐されたかにみえる、その長江文明は中国、東南アジアへ少数民族として伝わっていったそうです。日本に稲作を伝えた、弥生人もこれら少数民族に属する人たちであり、教授はこの人たちに倭族という学術語を与え、学会に問われたようです。
教授は、これら倭族は、黄河文明をになう漢族とは一線を画した生活様式をもつことを、実際に現地に出向き検証されてこられました。
齢88歳。おそらく若かりし教授が、学究の念を抱いて未開の中国あるいは東南アジアの奥地に現地調査に出かけられたのは、60年ほども昔のことではないかと思います。戦後の混乱もあったでありましょうに、もちろん教授の半生も波乱万丈
のものであったと思われますが、現地調査に出向かれた様子を、いきいきと好奇心と学究心に満ちてお話になる姿からは、子供のような純粋さが感じられました。
「人は年を重ねるほどに若くなる。」とはヘルマンヘッセの言葉だったか?
おそらく教授には、人前で講演をするのが、一番ふさわしいお姿なのかも知れません。余裕たっぷりに巧みなユーモアで聴衆をひきつけます。
しめ縄の話、鳥居の話などから、倭族が高床式住居を持つ農耕民族であったことをお話いただき、現地で収集してきた民族服なども御披露していただきました。今とは交通事情も異なる60年前に、このような研究活動をするのは大変なことだっ
たことでしょう。おそらく奇人扱いをされた一幕もあったのではないでしょうか? それでも自分の学問的興味、知的好奇心に素直であった教授の姿勢、情熱に思いを馳せました。
後半は、そのような人生を歩んでこられた教授が語られる、「人間いかに生きるべきか」というお話。 教授は、物質と精神の二極を満たさねばならぬ、「この世で生きる」ということは、大変に難しいことと強調されました。
それでも自分がありえたのは、ある啓示とともにあったということで、人はみな啓示のもとに、大自然の摂理の中で生きている、生かされているという
ような話の展開にいたりました。
生きているのではなく、生かされているというお話。 そして「人を支えるのは愛である」という言葉。
教授も興に乗ってこられたのか、感極まれたのか若い人が口にすると、すこし気恥ずかしく感じてしまう言葉も、米寿を迎えた教授が口にされると
素直に耳に馴染みます。
教授は、88歳を迎えたがあと本を3冊書きたいとお話になりました。 若々しい若し教授のお言葉、姿勢には、列席された聴衆から、シニア大学の講師をしてくださいなどリクエストが集まっていました。
聴衆からは、いつかまた教授にお話いただきたいという希望も募りました。先達の重厚なそしていて軽やかなお話に耳を傾けた、夏の週末のひと時でした。
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No.0023 |
できごと徒然(23) −カトレアの血統書−
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宝塚は園芸の街として有名です。
中でも山本地区は日本3大園芸の町として、有名なところです。
山本にお住まいの、園芸家の翁を往診にて尋ねましたところ、 立派なカトレアの花を頂戴しました。
この花には、血統書ともいえる札がついていました。
" C. Gloriette Superba, FCC-RHS "
と記載されています。
C はカトレアのこと
Gloriette Superba は品種名
FCC は 1等賞に入賞した花
RHS は英国王室フラワーソサイテイー
という意味だそうです。
このカトレアの血統書を記載した分厚い書物があるとのこと。 翁から伺いました。 翁は齢九十を越えるかたです。 こと、お花に関しては、博識なこと。すばらしい。
往診の帰りに、翁にお花の話をお聞きするのは とても楽しいひと時です。
翁から頂いた、カトレアの花、ご覧ください。
平成14年6月27日 記
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No.0022 |
できごと徒然(22) −いまどき当たり前?−
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先日、ある男性の方が、首に皮疹ができて治らないとのことで来院されました。
ある皮膚科医院に通っていたが良くならないとのこと。
私も一見してよく分からなかったので、皮疹をデジカメでとって、友人の皮膚科医に送りました。 彼はいくつかの疾患が考えられるとの鑑別疾患を教えてくれました。
そして鑑別のためには、真菌の検査をする必要があると教えてくれました。
早速に、皮膚をメスで削り、スライドガラスに落とし、水酸化カリウム溶液にパーカーインクを混ぜたものを滴下しました。すこし暖めて、角質を溶かして鏡検してみると、見事に菌糸が染まりました。
彼の言う通り、真菌感染が考えられました。
実はこの真菌鏡検はいままでも何度か試みましたが、うまく染まりませんでした。 今回はKOHとパーカーインクをあらかじめ混ぜておいたのが良かったのかもしれません。
ささいなことですが、きれいに染まった菌糸が認められて、なんだかとてもうれしい気持ちになりました。
それにしても、デジカメで写真をとって、メールに添えて送るといろいろ教えてもらえる というのは便利ですね。
いまどき当たり前かもしれませんが、これからドンドンこんな時代になっていくでしょう。
やはり画像の持つ情報量は圧倒的です。 これを瞬時に送ることができて、また電話などと違って、相手の手を止めること がないというのは、いいですね。
いかに良質な信頼できるネットワークを持ちうるか。これからのキーワードのように思えます。
平成14年6月23日 記
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No.0021 |
できごと徒然(21) −重要な二つの出会い−
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1)4月18日
私は大学を卒業して、早々に筑波大学へ国内留学する機会がありました。 留学先のM教授は、当時血圧を上げる酵素を世界ではじめて純化する研究に従事され
ており、この分野の世界的リーダーでした。当時の教授の一連の研究は、昇圧酵素タ ンパク質の精製から、血圧上昇の解明に貢献しましたし、実際多くの薬品が開発され
ました。 積極的に遺伝子工学の手法を取り入れて、真実に迫ろうとする教授の姿勢に、私は研 究というのはこのように進んでいくのだと、眼前で繰り広げられる研究の展開に目を
見張っていました。
そのM教授と20年ぶりにお話する機会がありました。
先生は新しいプロジェクトとして、人間のこころの動きが遺伝子に与える影響について検討したいというプロジェクトを立ち上げられました。
昔から、巷に言いますように、「病は気から」、と言うように、いきいき前向きに生 きれば体も元気になるという、皆が当然のように口にする言葉に科学のメスを入れよ
うとする試みです。なにやら夢物語のようですが、DNAチップなるものが開発され、数千の遺伝子の働きが同時に解析できる今、心のもち方が遺伝子に影響を与えている
ことを調べることが可能になったわけです。
教授は身振り手振りを交えて、熱ぽく語ります。
教授はまっすぐに私の目をみて話しかけられます。
その迫力に思わず正視できず視線をはずすのはいつも私でした。
なんだろうな教授のこの迫力は、使命感?信念?
少なくとも、私利私欲で動いているのではなく、大きな使命感が教授の口をして語らしめているような気がします。だからなにか動かしがたい迫力に、射すくめられてし
まうような気がします。
「今井さん、手伝ってよ」というその一言に、、20年を越えて、繋がる人の縁の不思議さに、感じ入ります。 こころのあり方が、遺伝子に影響することが証明されたら、科学と宗教と医学が融合するような分野が開けるのではないかと、教授の話を聞いていて思いました。
2)4月20日
関西労災病院に在籍した頃、ある一通の手紙とともに、日本ホスピス在宅ケア研究会に参加を呼びかけられました。その会も、回数をかさね大きな組織に育ちました。
来年神戸で大会を開催するからと、その準備の会がもたれました。 この会は、神戸の梁さん、姫路の大頭さんの両名が中心ですが、その他にも多くの異業種の方が参加しています。
ひとえに梁さんの魅力がつないでいるのでしょうか、私も何度か途切れそうになりな がらも参加しています。
今回の神戸大会の大会長は、看護婦の黒田さんというかた、準備は姫路のヘルパーステーション所長の田中さんということで、医師が中心になりがちな運営とは明らかに違います。
準備会でもいろいろな職種の人との語らいがあり、また皆元気です。
これからの医療は、このように医師と看護婦と福祉といろいろな連携の中に拡がっていくような気がします。
M教授との出会い、元気なパラメデイカルとの出会い、この二つの出会いはこれからの自分の仕事の展開に大きな影響を与えるキーワードであるような気がします。
平成14年4月27日 記
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