自分がこういうことに関心があるからか、時々人生の最期を自宅で過したいと願う方からの依頼を受けることがある。
今回の依頼も、自宅で最期を迎えたいという高齢の方の依頼であった。
かなり高齢の方であった。
時々、このような最期を自宅で過したいという方の依頼を受けるが、この方が筋金入りであったのは、すでに「生前葬」を終えられていたことであった。
幸いにも苦痛少なく、意思を理解する家族の援助にも恵まれていた。
亡くなる当日も、ご自身で念仏を口ずさまれたという。
はっきりした病名もなく、老衰、天寿、大往生といえる方だった。
本当は、死因の病名欄に、「大往生」とでも書きたかったが、そうもいかないと判断し、平凡な医学的病名になってしまったことは、彼の精神に申し訳けなかったような気もする。
開業して6年目を迎え、自分の意識が病気のみならず、患者の生活に向いていることを自覚する。家庭医なり、かかりつけ医を自称する必然かもしれないが、今の自分は、そのような患者の生活に寄り添って、その思いを叶えるように振舞うことが、なにか自然なことにように思える。
大往生の爺さんの枕もとに佇みながら、会話した時間を振り返りながら、御冥福を祈りながら、そのようなことを思いました。
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